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生きる糧

20■■年の秋、ちょうど今頃です。私の中では人生最大とも呼べるボランティアをしてきました。きっかけは父が急性白血病で他界したことからです。当時の彼はまだ50代の働き盛り。

父と私を含めた4人の子どもは血液型が違うために、父の兄弟姉妹に検査をお願いをするも、全ての人に断られ悲しい思いをしたのを、今でも忘れていません。

できればそんな思いをする人が、少しでもいなくなればとドナー登録をしました。

それから1~2年後に候補のひとりに選ばれました。3回くらい指定の病院へ行き検査や説明を受けます。怖くなったり、周囲の理解が得られなく辞退する人も当然います。

また、その間にレシピエントが亡くなってしまったり、何らかの事情で移植手術まで踏み切ることはあまり多くないのが現実のようです。

不思議と怖さはあまりなかったです。点滴を入れ、マスクを装着し、大きく息を吸ったのが最後…落ちていくのが分かります。自分でも分かるくらいに意識が飛んでいきます。これが全身麻酔か・・・約4時間くらいすると「息を吸って~」とどこからか声が聞こえ、終わったんだなと目が覚めます。

夕方まで2~3時間はベッドで安静にして食事の「ハヤシライス」が用意されていました。

空腹であったのと、病院食ではなかったので、ものの数分で完食しました。トイレに向かおうと立位の瞬間、この世に体験したことのない激痛がほとばしりました。例えて言うと尖った何かが全身に刺さり、それらに熱を加えられるといった筆舌に尽くしがたい苦痛です。

小便の出るときと終わるときが、物凄くツラい(T_T) 2回目からはトイレに行くのが恐ろしく、出したくなくなるも点滴をしているからタンクには当然溜まる。カテーテルがどうしても嫌だったので仕方なかったのですが、もう経験はしたくないです。4日目で異常がなければ退院です。商品券や薄謝を頂戴し、入院費用はかかりませんが、本格的に社会復帰するにはさらに1週間かかりました。

正直どんな人を助けてあげられたのかは分かりません。人の死は運命なのかもしれませんが、あの時に父ちゃんを助けてやれなくてゴメン!という気持ちは今でも消えません。

この季節になると毎年思い出されるので思い切って、この誌面でカミングアウトさせていただきました。過日にドナー提供のお願いが届きました。しばらく考えました(-_-;)

『ごめんなさい、卒業させてください』

~院内新聞「わすれな草」no.94より抜粋

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