日曜日の夕刻、所用で電車を利用したときのこと。
向かいに座っているカップルが、一生懸命にプリントを見て互いに何かブツブツと話しています。
チラッと視線を向けると懐かしい文面。
柔道整復師の国家試験の問題でした。
そういえば3月の一週目でしたね。
ワタシ自身、勉強はできる方ではなく苦労したので、国家試験は大きく心に残っています。
紆余曲折、開業して今に至るまでは苦労をしました。
ケガをしてお世話になった治療家に憧れて、東京/代々木の実家を離れて仙台の学校へ入学。
親に逆らって自分で初めて決断した道ですから、学費から生活に至るまで、自分で用意しなければなりませんでした。
当時はまだ徒弟関係の強い時代で、縁もゆかりも無い私は丁稚奉公のツテさえもありません。
それでも常勤スタッフとして朝から夕方まで整形外科で働かせてもらい、着替える時間も無く夜6時から9時過ぎまで学校での授業の毎日。
薄給はもちろんのこと、勉強時間の確保も満足になく、国家試験前日であろうと休みも無かった境遇はかなり辛かったのを覚えています。
当時はコンプライアンスなど皆無でしたが、素性もよく分からない若者を雇用してくれたクリニックにはある意味感謝でした。
国家試験当日。
こんな環境を早く抜け出したいのと、自分なりにも今まで頑張ったんだから絶対に合格しなければいけない…という重圧。
しかし、本番は冷静さが欠けていました。
周囲の咳払いや鉛筆を書き走る音などすべてが妨げになり、自分を見失い自己嫌悪に陥る。
試験終了後にはお決まりの答え合わせを学校に帰ってするのですが、合否ギリギリ(*_*)の判定。
マークシートがズレていたら?消しゴムでキチンと消えていたかな?など発表日まで不安だけがよぎります。
もしかしてアウトかも!?
そう思うと自分の無様さをどこにもぶつけることができず、数年ぶりに実家に連絡して電話口で泣いていた自分を思い出してしまいました。
あの頃の若輩者の自分は国家試験に合格することがゴールでした。
でもそのあとの臨床研修や独立することがもっと大変だったことは言うまでもありません。
そして開業することがゴールでは無いこと。
憧れていた先生に私は近づいてきたかな?
絶えず自身を磨き、周囲に必要とされる人間になることを忘れずにいます。
懐かしいな(^^;)時代背景は違うけれど、四半世紀も前の私とどこか重ねてみえてしまいました。
いろんなことを伝えてあげたいな。
チラッと見えた問題の解答。
悩んでいたようだけど、正解だよ(^o^)
背負ってきたものは違うけれど、未来の治療家たちには頑張って欲しいです。
<わすれな草No.39より、数字に一部訂正あり>